遠き日に息をひそめし手花火や
明日で8月も終わり。
朝晩は秋の気配を感じるようになりました。
なんとはなしに、夏から秋への季節の移り変わりはさびしい気配に満たされます。
余裕のない生活をしていても、子供が小さい時にはそれなりの季節の楽しみというものがありました。
夏の花火。
公園であったり海岸であったり、キャンプ場であったり。
線香花火、必ず最後にしましたよね。
線香花火になったら、楽しい花火ももうなくなってしまう。
あああ、、、もっとしていたいなあ、という気持ちで、
だから大事に大事に、少しでも長く瞬くように、息をひそめてみんなで見ていたものです。
いくら大事にしても最後には丸い塊となって落ちてしまう。
線香花火の想い出には日本人には独特の感傷があるように感じます。
今年はスイカも食べませんでした。
もちろん花火もしませんでした。
今年こそ着よう!と思っていた浴衣も着ることができませんでした。
一つも夏らしい事をせずに終わってしまう今の私の生活、少々反省です。
来年こそは、浴衣着て、線香花を、、、、、なんて。
写真は二年ほど前、キャンプ場でおじいちゃまとお孫さんが花火に興じていらしたのをお願いして撮らせて頂きました。この写真を見るとその時の幸せそうな祖父と孫の大事な時間を思いだします。
そういえば最近、祖父と孫娘のひと夏の交流を描いた素敵な物語を読みました。
東京、深川の橋の名前をタイトルに冠した6つの短編集。
誰しもが体験した、あるいは体験するであろう、心情が切り取られている。
迷いながらも、現実を生きる市井の人たち。不思議と閉塞感がないのは川と橋、そしてわたる風を感じるからかもしれません。
文章も平易で、優しい気持になれること請け合いです。
もう少し涼しくなったら、深川あたりをお散歩してみましょうか。
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